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■魚町歴史コラム Vol.1

えびす市から始まった

明治39年に始まったえびす市は、魚町の名物のひとつでした。
商店の主人は仮装して祭りを盛り上げました。昔は
コヨリによるくじびきが行われ、戦後の昭和24年には、1等の景品として、時価12万円相当の家がまるごと商品になったこともありました。ちょっとびっくりですね。商店街の皆さんで八坂神社に商売繁盛を祈願しました。
このえびす市が雨の影響を受けないように、また、普段もお客様が濡れずにショッピングを楽しんでいただけるようにとアーケード建設の案が浮かんだのです。


写真 【えびす市での仮装】(昭和30年代) 提供:松永 龍蔵 さま

 
     
 

■魚町歴史コラム Vol.2

今も昔もお洒落な街

70年位前の魚町は、どんな様子だったのでしょう?

今では色々な種類のお店が並ぶ魚町ですが、もともとは呉服の街でした。
呉服屋さんはもちろん、 下駄屋さんや、帯・襟などの小物を扱う専門店があリました。 当時、商店街に飲食店はほとんどなく、物品販売が中心で、魚町は、旧小倉市のファッションの中心街として栄えていました。

中には、冬は毛糸屋さん、夏はアイスキャンデー屋さんという、季節に合わせて売る商品を切り替えるというお店もありました。当時のショッピングスタイルは、呉服屋さんの2階の座敷で4時間位かけて、上から下まで衣装一式をじっくり選び、揃えて購入していたそうです。お店は、仕出しの食事を用意して、接客していたとのこと。まさに、至れり尽くせりのおもてなしですね。

 


写真上段 【呉服店の店頭風景】(昭和5年) 提供:米谷 晋治 さま
写真下段 【店舗二階での商談】(昭和5年) 提供:米谷 晋治 さま

 
     
 

■魚町歴史コラム Vol.3

アーケード完成秘話

「自分達でアーケードを作ろう!」商店主が資金を出し合い、アーケード建設の話が盛り上がってきた魚町なのですが・・・・・

当時の役所は「公道に屋根をかけるのは、前例がなく認められない。」の一点張りで、なかなか許可してくれませんでした。
しかし、アーケードの工事は既に着工済み・・・・・意を決した商店街の幹部は、東京の建設省(当時)に直接申し立てに行きました。

交渉は難航しましたが、幹部の「一命を掛けてでもアーケードを造る」の一言と、アーケードにかける情熱に動かされ、「試験的に許可する」との回答をいただきました。
この小倉っ子の情熱がなければ、今でも全国にアーケードは存在しなかったのかもしれません。

こうして昭和26年10月、魚町に、日本で初めてとなる、アーケードが完成しました。
魚町ではパレードが盛大に行われ、小倉駅から門司港を結ぶ、魚町銀店街への送迎バスも走りました。


写真上段 【アーケード起工式】(昭和26年) 提供:松永 龍蔵 さま
写真下段 【完成パレード風景】(昭和26年) 提供:松永 龍蔵 さま

 
     
 

■魚町歴史コラム Vol.4

今も昔もまつり好き

小倉っ子はお祭り好き。「えびす市」をはじめ商店街ではさまざまなイベントをしていました。もちろん「小倉祇園」をはじめ、「紫川祭り」、専門店会(現日専連)の「せんもん踊り」など。
一年を通していろいろなお祭り、イベントで魚町は盛り上がります。

お祭りに欠かせないのが「仮装行列」。
下の写真に写っているのは誰だと思いますか?

役者さんのようですね??・・・実は魚町商店街の当時のご主人達なのです。今も昔もお祭りは、お店もお客様も一緒になって楽しんでいます。もちろん仮装大会で賞もいただきました。


写真上段 【小倉市制50周年】(昭和25年) 提供:松永 龍蔵 さま
写真下段 【仮装行列】(昭和30年代) 提供:松永 龍蔵 さま

 
     
     
 
■魚町ヒストリーにコメントをいただいた方
新米谷 
米谷 晋治 さま
はまだ洋装店 

濱田 浩三 さま

松永不動産

松永 龍蔵 さま